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メンターとは、簡単にいえば「人生の師匠!」、仕事や人生において、良きお手本となってくれる人のことです。 身近に、メンターと呼べる人がいない場合、 本などから探しだすのもひとつの方法です。ここでは、メンターと呼ぶにふさわしい方々を紹介していきます!
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 ◆ メンター(13)
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本田技研工業創業者の本田宗一郎氏は、戦後の日本を代表する起業家、技術者であるといえます。
特に技術者としての本田宗一郎氏は、他の技術者たちのカリス マ的存在になっているようです。

 主な著書
 「俺の考え」
 「やりたいことをやれ」
 「スピードに生きる」
 「私の手が語る―思想・技術・生き方」

 ~ ~ ~ ~ ~ ~
* 1906年 静岡県磐田郡光明村(現・浜松市天竜地区)で鍛冶屋をしていた本田儀平の長男として生まれる。
 * 1913年 光明村立東尋常小学校に入学する。翌年初めて自動車を見る。
 * 1917年 浜松町和地山連兵場でアート・スミスの曲芸飛行を見る。初めて飛行機を見る。
 * 1919年 二俣町立尋常高等小学校入学。
 * 1922年 高等小学校卒業後、東京・本郷区湯島(現在の文京区)にある自動車修理工場「アート商会」(社長 榊原郁三)に入社(当時の表現で「丁稚奉公」)。
* 1928年 アート商会に6年勤務した後、のれん分けの形で浜松市に支店を設立して独立。宗一郎ただ一人だけが社長の榊原郁三からのれんわけを許される。
* 1935年 磯部さちと結婚。
* 1937年 自動車修理工場の事業を順調に拡大させ、「東海精機工業株式会社」(現・東海精機株式会社)の社長に就任する。「アートピストンリング研究 所」を浜松市山下町に設立してピストンリング開発に取り組む。しかし学問的な壁に突き当たり、同年、浜松高等工業機械科(現・静岡大学工学部)の聴講生と なり、3年間金属学の研究に費やす。
* 1939年 アート商会浜松支店を従業員に譲渡し、ピストンリング製造を手がける「東海精機重工業株式会社」を興し、自動車部品製造に乗り出す。
* 1942年 長男・博俊(元「無限」代表取締役)誕生。東海精機重工業がトヨタから出資を受けたことに伴い、同社の社長に「トヨタ中興の祖」とも呼ばれた 石田退三を迎え入れ、自らは専務に退く。
 * 1944年 手作業で1本1週間かかっていた航空機のプロペラの切削自動化、30分で2本仕上げる切削機を開発し、軍需省より表彰される。この時点で40 件を超える特許を取得。
 * 1945年 三河地震により東海精機重工業浜松工場が倒産。自らの持つ東海精機重工業の株を全て豊田自動織機に売却して同社を退社、「人間休業」と称して 1年間の休養に入る。本人曰く「尺八を吹いたりして遊んだ。」
 * 1946年 10月、浜松市に本田技術研究所設立。39歳の宗一郎は所長に就任。
 * 1948年 次男・勝久誕生。本田技研工業株式会社を浜松に設立。宗一郎、同社代表取締役就任。資本金100万、従業員20人でスタート。二輪車の研究を はじめる。
* 1949年 後にホンダの副社長となる参謀藤沢武夫と出会い、以後藤沢武夫に経営の一切を任せ、共にホンダを世界的な大企業に育て上げる。
 * 1961年 藤沢武夫とともに「作工会」という財団を立ち上げ、主として苦学生である科学者の卵に、匿名で奨学金を渡した。
 * 1973年 中華人民共和国を訪れた帰国直後の会見で、本田技研工業社長を退き、取締役最高顧問に就任と発表。研究所所長は続けた。
 * 1974年 さち夫人とともに世界中のお世話になった人を訪ねる。
 * 1981年 勲一等端宝章受賞。
 * 1983年 取締役も退き、終身最高顧問となる。
 * 1989年 日本人として初めてアメリカ合衆国の自動車殿堂入りを果たす。
 * 1991年 8月5日東京・順天堂医院で肝不全のため84歳8ヶ月で死去。正三位・勲一等旭日大綬章が贈られる。

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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海外旅行に行きたかったが、なんだかんだで近場で済ましてしまった。英語もがんばって勉強したのだが、結局は使わずじまい。次の機会に期待しよう。
孫さんの義援金額がすごい。 さすが、広い視野で世の中を見ている人だ。 グローバル化にもいち早く対応された。 そんな孫さんが。
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